近時、地球規模の課題とその達成目標を示したSDGsがますます注目されています。アンダーソン・毛利・友常法律事務所は、法律家として、いかにSDGsの達成に貢献できるかを模索し続けています。 当事務所は、クライアントの持続可能な成長に向けた法的課題をあらゆる角度からサポートすべく、各専門分野における弁護士がSDGsに関する知見を深め、サステナビリティ法務のベスト・プラクティスを目指します。
本特集では、SDGsに関する当事務所の取組みをご紹介すると共に、サステナビリティ法務に関する継続的な情報発信を行ってまいります。
本特集の第3回では、前回に引き続き東京大学名誉教授(専門分野:国際法、国際経済法)であり、当事務所の客員弁護士でもある中川淳司氏にインタビューを実施しましたので、その様子をご紹介いたします(前回の対談はこちら)。
※インタビュー実施日:2022年3月4日オンラインにて実施。
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【第3回】中川教授とビジネスと人権について考える(その2)
(東京大学名誉教授/当事務所客員弁護士・中川淳司×パートナー弁護士・龍野滋幹)
目次
Q1:人権DDの意義
龍野前回は「ビジネスと人権」を概観するお話でしたが、今回は、「ビジネスと人権」の中でも特に注目度の高い「人権デュー・ディリジェンス(人権DD)」について、より実務的な観点を交えてお話ししたいと思います。最近では、我々も、人権DDについてご相談を受ける機会が増え、弁護士としての知見を求められる場面が増えました。前回の振り返りになりますが、そもそも、企業が人権DDを実施する根拠はどこにあるのでしょうか?
中川企業が人権DDを実施するようになったのは、2011年の国連「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、「指導原則」)が人権DDの実施を求めたのがきっかけです。それ以降、欧米では、人権DDを義務付ける国内法の制定が相次ぎました。
龍野2020年の「ビジネスと人権に関する行動計画2020-2025」では、企業が人権DDを実施することを「期待する」と表明していた日本政府も、さらに進んで、取引先などの人権侵害リスクを調べて予防する人権DDの指針を策定すると報じられています(日本経済新聞2022年2月14日)。報道によれば、日本政府としては、サプライチェーン(供給網)に強制労働や児童労働が無いかを調査する手順を示すだけでなく、将来的には、企業に人権DDの実施を義務づける法制化も視野に入れる、とのことです。
中川はい、日本政府も人権DDの実施を義務付ける法制化を視野に入れ始めたようです。今後、日本企業は、欧米で事業を展開するか否かを問わず、人権DDの実施を検討すべき情勢になってきたことは間違いありません。人権リスクがSNSなどで簡単に拡散する時代において、企業にとっては、経営上の課題として積極的に人権DDに取り組むことが不可欠になります。人権DDをきちんと行っている企業は、従業員を含む広範なステークホルダーの支持を得られるようになるのです。
Q2:人権DDのポイント(1) ~人権指針の策定と外部専門家の活用~
龍野企業が人権DDを実施する際に留意すべきポイントを、「指導原則」に沿って見ていきたいと思います。そもそも、「指導原則」は、企業が人権方針を策定することを求めていますね。
中川はい、「指導原則」16は、人権を尊重する責任を定着させるための基礎として、企業は、その責任を果たすというコミットメントを明らかにすべきである、と述べて、人権方針を策定し、公表することを求めています。この人権方針策定にあたっては、企業の最上級レベル、日本企業でいえば、取締役会などで承認されていることが必要です。その際、社内のみならず、社外の専門家から助言を得ることも不可欠であり、法律の専門家として弁護士が助言を求められることも増えてくると思います。
龍野実際に、そのようなアドバイスを求められる機会が増えました。
中川人権指針の策定にあたっては、例えば、ESG経営推進部が中心となって、法務、人事、購買、海外統括部門が参加して原案を作成し、外部専門家の助言を得て、国際規範を充たした内容になっているかを確認する、という作業になることが多いと思います。国際規範としては、国際人権章典(世界人権宣言、国際人権規約)、ILOの中核的労働基準、「指導原則」、「責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス」などを挙げることができます。ここでは具体名を挙げませんが、いくつかの日本企業では、比較的簡潔な人権指針を策定し、代表取締役が署名をして公表しています。
Q3:人権DDのポイント(2) ~PDCAサイクルの重要性~
龍野人権リスクを排除するためには、人権方針を策定するだけでなく、実際に、人権DDの流れをPDCAサイクルで循環させることが不可欠です。
中川はい、「指導原則」は、人権DDについて、①人権DDの原則(「指導原則」17)をまず示したうえで、②人権リスクの特定・評価(アセスメント。「指導原則」18)⇒③負の影響の防止・軽減(「指導原則」19)⇒④取組み効果の追跡検証(トラッキング。「指導原則」20)⇒⑤情報開示(「指導原則」21)というPDCAサイクルを想定しています。
①「指導原則」17によれば、企業は、人権への悪影響を特定し、予防し、軽減し、対処方法を説明するために、人権DDを実施するべきである、とされています。そして、人権DDの手続は、現実の及び潜在的な人権への影響の評価、調査結果の統合と対処、対応の追跡調査、対処方法の周知を含むべきである、とされています。人権リスクは企業活動の状態や変遷によって時間とともに変化する可能性がありますので、企業は、人権DDを継続的に実施する必要があるのです。
龍野企業にとっては相応の負担にもなりますので、人権DDの実施にあたっては、優先順位付けが不可欠だと考えています。
中川はい、優先順位付けをいかに行うかは、重要な問題です。自社から見て、いわゆるTier2以下のサプライヤーについても、「Tier2だから責任ない」は通用しません。しかしながら、Tier2以下のサプライヤーに対して、企業が直接に影響力を行使するのは難しいのが現実です。実務上は、Tier1サプライヤーとの連携など、効果的な人権DDを実施するための工夫が必要になるでしょう。
龍野効果的な人権DDの実施は非常に難しいと思います。ところで、今回の対談で人権DDのPDCAの全てを取り上げることは難しいのですが、②人権リスクのアセスメントや③負の影響の防止・軽減、④トラッキング、⑤情報開示などについて、ポイントになると思われる点がございましたら、ご教示いただけませんでしょうか?
中川まず、②効果的なアセスメント(「指導原則」18)を実施するためには、リスクのマッピングが前提となります。自社や連結経営会社を対象に、外部専門家の協力を得ながら、事業内容と所在地、人員構成や取り扱う原材料・部品などに基づいて、各社の潜在的人権リスクを見積もる必要があるのです。そのうえで、優先的に取り組むべき課題を設定し、詳細を調査することになります。
次に、③人権への負の影響を防止・軽減(「指導原則」19)するためには、人権リスクの評価から得られた結果を、関連する社内プロセスに反映させることが必要です。例えば、調達プロセスにおいては、調達に関する方針で明確化した人権尊重の姿勢を取引先に求めていく必要があります。企業が、取引先との対話と協働によって、人権が尊重される持続可能なサプライチェーンの構築に努めることが重要です。
④取組み効果のトラッキング(「指導原則」20)としては、人権DDに関する活動の計画や実施状況、措置の有効性を適切な質的・量的指標に基づいて継続的に追跡調査する必要があります。そして、人権方針が事業活動に反映されているか否か、人権への影響に効果的な対応が出来ているか否かを判断し、必要があれば、事業活動を修正することになります。
さらに、⑤企業は、このような一連の取組みを外部に情報開示する必要があります(「指導原則」21)。人権DDの方針やプロセス、負の影響を特定して行った活動などに関して、例えば人権報告書、サステナビリティ報告書や統合報告書、ホームページなどを活用して、適切な情報を開示するような方法が考えられます。人権リスクが顕在化した場合については、リスクを防止し軽減するために行った行動や是正措置に関する情報はもちろんのこと、可能であれば、改善が見込まれるタイムラインとその指標なども公表することが望ましいといえるでしょう。
Q4:人権DDと苦情処理メカニズム
龍野ありがとうございます。人権DDのPDCAサイクルとの関係では、苦情処理メカニズム(grievance mechanism)の構築(「指導原則」29)にも言及しておくべきでしょうか?
中川おっしゃるとおりですね。「指導原則」29は、人権DDの苦情処理メカニズムとして、苦情への対処が早期になされ、直接救済を可能とするように、企業は、負の影響を受けた個人及び地域社会のために、実効的な事業レベルの苦情処理メカニズムを確立すべきである、としています。
龍野体制の構築が重要です。
中川はい、実務上は、例えば、企業における人権リスクに関するガバナンス体制の構築がポイントになります。責任者や手続を担当する部署を指定したり、通報・相談窓口を設置したりすることが考えらえます。その際、当事者が利用しやすい受付方法や言語の選択、プライバシー保護や適切な機密性確保の仕組みの構築が重要です。記録の作成や保管方法も検討する必要があります。こうした体制の構築と運用においては、外部専門家による助言が重要になるでしょう。
なお、「指導原則」31は、人権に関する非司法的苦情処理メカニズムの実効性を確保するための要素として、①正当性、②利用可能性、③予見可能性(利用者に手続が明確であること)、④公平性、⑤透明性(苦情を申し立てた当事者に対する十分な説明)、⑥権利適合性(Rights-compatible. 国際的に認められた人権と合致していること)、⑦持続的な学習源(苦情処理の仕組みの改善に活用できること)、⑧ステークホルダーとのエンゲージメントと対話の重視を挙げています。人権リスクに関するガバナンス体制の構築にあたっては、これらの要素を考慮することになります。
Q5:まとめ
龍野今後、日本企業としても人権DDをどのように実施するかが重要になってきますね。2回の対談を通じたまとめをお願いできますでしょうか。
中川そもそも、人権リスクには3つの類型があるとされています。まず、(a)企業が負の影響の直接の原因となる場合(cause)、例えば、雇用環境における女性への差別や製造現場の労働安全上の問題です。次に、(b)企業が負の影響を助長する場合(contribute)、例えば、納期直前に注文内容を変更し、サプライヤーにおける労働基準違反を誘発する場合です。そして、(c)負の影響が事業や製品・サービスに直接結びつく場合(linkage)、例えば、児童労働により採掘された鉱物を調達して自社製品に使用する場合です。
これらのいずれもが難しい問題であり、効果的な人権DDの実施は決して容易ではありません。しかしながら、冒頭に申し上げましたように、「ビジネスと人権」は、いまや、企業にとって極めて大きな経営課題です。人権DDの実施に必要な体制を構築し、PDCAサイクルを循環させることは、企業に求められる「人権リスクガバナンス」ともいうべきものであって、今後ますます、重要性を増すといえます。「人権リスクガバナンス」は、投資家などのステークホルダーの支持につながるだけでなく、SDGsに敏感な若者などの優秀な人材の採用にも意味があるのです。
龍野「人権DD」の取組みは、企業にとってプラスにもなりますね。2回にわたって、どうもありがとうございました。